瀬戸口村(読み)せとぐちむら

日本歴史地名大系 「瀬戸口村」の解説

瀬戸口村
せとぐちむら

[現在地名]玖珠町山田やまだ

玖珠川左岸、伐株きりかぶ山の北麓にある。東は塚脇つかわき村。慶長七年(一六〇二)の日田郡・玖珠郡預米帳(佐伯藩政史料)に山田郷世戸口村四二石余とあり、百姓宗喜の名がみえる。正保郷帳でも山田郷に属し、田高九〇三石余・畑高一五七石余で、日損所と記す。元禄郷帳では高一千八三石余。享保元年(一七一六)孫三郎らは万年まんねん井路の開設を志し、元文元年(一七三六)完成。明治三年(一八七〇)の日田県竹槍騒動は玖珠郡にも波及、当村の勇見はその首魁で、庄屋五郎左衛門宅などを打毀し、準流一〇年の刑に処せられた。

瀬戸口村
せとぐちむら

[現在地名]七城町瀬戸口

流川ながれかわ村の北西にあり、南は辺田へた村に接する。西端を木野きの川・内田うちだ川が南流し、村域中央を山鹿やまが椎持しいもち(現鹿本郡鹿北町)に至る椎持往還が南北に貫く。東西の地形は同往還を境にして大きく異なり、東側はうてな台地、西側は内田川の沖積平野で水田地帯を形成する。天正一七年(一五八九)検地帳に田一二町二反七畝余・畠一町八反二畝余・屋敷七反八畝余、分米一七〇石五斗余とあり、名請人二三、屋敷数九。寛永一二年(一六三五)一月七日、細川忠利は当村など合一〇〇石の地を田辺平右衛門尉に充行った(「細川忠利判物」田辺文書)。同一八年八月一日細川光貞(光尚)は同氏の領知を安堵している(「細川光貞判物」同文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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