瀬川村(読み)せがわむら

日本歴史地名大系 「瀬川村」の解説

瀬川村
せがわむら

[現在地名]箕面市瀬川一―五丁目・半町はんぢよう二―三丁目

現箕面市の南西端に位置し、豊島てしま郡に属した。村の北部を箕面川が西流。ほぼ中央を西国街道(山崎通)東西に通り、平安末期以来同街道の宿駅の機能を果してきた。街道沿いの家並は東の半町村の家並に連なる。慶長一〇年(一六〇五)摂津国絵図では石高三三四石余、元和初年の摂津一国高御改帳によると旗本北見五郎左衛門(喜多見勝忠)知行地。以後同家領として続くが元禄七年(一六九四)から武蔵国忍藩阿部領。文政六年(一八二三)に三卿の一橋領となり幕末に至る(川西市史)。宝暦五年(一七五五)の諸色付込帳(瀬川共有文書)によると家数五八。

瀬川村
せがわむら

[現在地名]今市市瀬川

東は今市宿、南・西は赤堀あかほり川を隔て和泉いずみ(現日光市)、北は東流する大谷だいや川を隔てて瀬尾せのお村。都賀つが郡に属する。中央を東西に日光街道が通り、杉並木は約七町(宿村大概帳)。今市宿と鉢石はついし宿(現日光市)の間の村にあたる。古くは瀬尾村一村であったが、慶長年間(一五九六―一六一五)川瀬が変わって二村になったと伝える。当村は大谷川南岸の広い部分を占めていたと考えられ、その中央部に元和年間(一六一五―二四)の日光街道整備の際、今市宿の家並がつくられたとも推定される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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