潮来村(読み)いたこむら

日本歴史地名大系 「潮来村」の解説

潮来村
いたこむら

[現在地名]潮来町潮来

常陸利根川(北利根川)東岸とまえ川北岸に沿って村が形成され、北西は上戸わど(現牛堀町)、東はつじ村に接し、南は常陸利根川を境に下総国香取郡(現千葉県佐原市)に相対する。古くは板久いたくと記されたが、元禄一一年(一六九八)水戸藩主徳川光圀の命により、潮来に改められた(水戸紀年)

「常陸国風土記」に「此より南十里に板来の村あり。近く海浜に臨みて、駅家を安置けり。此を板来の駅と謂ふ」とあり、古代には国府(現石岡市)から曾尼そね駅を経て鹿島神宮に至る交通の要所であった。また同書は地名の起りを建借間命の東征にあたり、国栖の首領夜尺斯・夜筑斯の二人が頑強に抵抗したので、「建借間命、騎士をして堡を閇ぢしめ、後より襲ひ撃ちて、尽に種属を囚へ、一時に焚き滅しき。此の時、痛く殺すと言ひし所は、今、伊多久いたくの郷と謂ひ」という。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報