溝口直諒(読み)みぞぐち なおあき

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「溝口直諒」の解説

溝口直諒 みぞぐち-なおあき

1799-1858 江戸時代後期の大名
寛政11年1月8日生まれ。溝口直侯(なおよし)の長男。享和2年(1802)越後(えちご)(新潟県)新発田(しばた)藩主溝口家10代となる。海防強化,藩学振興尽力尊王開国論をとなえ,「報国説」ほか時局についての著述がおおい。石州流伊佐派の茶人。安政5年6月18日死去。60歳。字(あざな)は益卿。号は健斎,景山など。
格言など】一日,書を読まざれば,悶々の心生ず

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「溝口直諒」の解説

溝口直諒 (みぞぐちなおあき)

生年月日:1799年1月8日
江戸時代末期の大名
1858年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の溝口直諒の言及

【新発田藩】より

…越後国(新潟県)蒲原郡新発田に居城した外様の中藩。1598年(慶長3)溝口秀勝が加賀国大聖寺城から移され,蒲原郡において6万石を与えられて成立した。以来12代,274年間,大名の交代なく維新を迎えた。知行高は1610年(慶長15)沢海(そうみ)藩1万石を分立して5万石に減少したが,1860年(万延1)高直しで10万石となった。領内に広大な低湿荒蕪地を有したので治水と新田開発を奨励,そのため幕末の草高(くさだか)は20万石あるいは40万石と称された。…

※「溝口直諒」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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