源明子(読み)みなもとのめいし

朝日日本歴史人物事典 「源明子」の解説

源明子

没年:永承4(1049)
生年:生年不詳
平安中期,藤原道長の妻。源高明の娘。幼少時に,安和の変(969)で父が失脚,死亡し,叔父盛明親王,次いで東三条院(詮子)に養育された。正妻倫子のように正式な婚儀は行われず,公的な場で夫道長と行動を共にすることはなかったが,妻としての地位は安定していたものと思われる。頼宗,能信,顕信,長家らをもうけた。道長が失脚を計った東宮敦明親王(小一条院)を娘寛子の婿として迎え,共に桟敷見物をするなど,両者緩衝として重要な役割を果たした。寛子に続いて顕信も早くに亡くし,「度々気を失ふ」悲しみようであったという。出家後の動向は不明。

(楢原潤子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「源明子」の解説

源明子 みなもとの-めいし

?-1049 平安時代中期の女性。
源高明(たかあきら)の娘。幼時に父が失脚。叔父盛明(もりあきら)親王の養女となり,のち東三条院の後見をうけた。藤原道長の室となり,藤原頼宗,顕信,能信(よしのぶ),長家,寛子,尊子を生む。従三位。高松殿とよばれた。永承4年7月22日死去。名は「あきこ」ともよむ。

源明子 みなもとの-あきこ

みなもとの-めいし

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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