湯浅庄(読み)ゆあさのしよう

日本歴史地名大系 「湯浅庄」の解説

湯浅庄
ゆあさのしよう

現湯浅町一帯にあった荘園。「和名抄温笠ゆかさ郷の地とされる(大日本地名辞書)。湯浅の地名は古く、「中右記」天仁二年(一一〇九)一〇月一八日条に「由和佐里」とみえ、建仁元年(一二〇一)鳥羽上皇の熊野御幸に供奉した藤原定家は逆川さかさがわ王子を経て、「次又過今日御宿湯浅三四町許、入小宅宿所」と「後鳥羽院熊野御幸記」同年一〇月九日条に記す。また久安四年(一一四八)二月五日の神野真国庄熊野詣雑事支配状(神護寺文書)によれば「上道雑事」を「持参湯浅御宿、渡行事庁官、可進返抄之」と指示されていて、熊野詣の要地にあたる当地に御幸の宿所の設備があり、行事庁官などの機構もあったことが判明する。だが摂関家や皇室関係の荘園としては設定されていなかったようで、荘名の初見は寛喜三年(一二三一)四月日の湯浅景基寄進状(施無畏寺文書)。景基は明恵の庵室があった白上しらかみ峰の麓に別所を建立し施無畏せむい寺と名付け、明恵に寄進した。これが寛喜の寄進状で、当庄も明恵の遺跡地の一である。こののち施無畏寺文書の寺領関係文書などに度々荘名がみえ、明応九年(一五〇〇)に至るが、本家・領家関係の史料は見当たらず、四至も、内部構造も明確ではない。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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