湖山村(読み)こやまむら

日本歴史地名大系 「湖山村」の解説

湖山村
こやまむら

[現在地名]鳥取市湖山町・湖山町東こやまちようひがし一―二丁目・同五丁目・湖山町南こやまちようみなみ一―五丁目・湖山町西こやまちようにし一―四丁目・湖山町北こやまちようきた一―六丁目

賀露かろ村の南、湖山池の北東岸にあり、北は日本海。同池から流れ出る湖山川には東流したのち北北東に向かって流れる古川と、流出口から直線的に北西へ流れる新川があり、途中で合流して北東へ流れる。新川は初覧そら山の北部を開削して造られたもので、享保一一年(一七二六)の凶荒のとき郷民救恤の事業として行われたという。伯耆街道が東西に横断し、古川・新川合流点の北に橋が架かり、その西詰に一里塚がある(因幡志)寛文大図(倉田八幡宮蔵)によれば、一里塚の西に「茶屋」があり、初覧山西麓に「溝口村ノ跡」、北麓に「宇文」、東麓から北麓にかけては集落を描いて「小山村」と記し、集落東端の小丘を「小山」として「昔ハ此村、宇文・溝ノ口ト云二村有、小山トハ山之名也」と注記する。「本福寺門徒記」に「イナバノミゾノクチニ五郎衛門ト云人ノコト」と題する記述があり、この記述は永正年間(一五〇四―二一)頃のことと推定される。天文一二年(一五四三)九月二日の溝之口みぞのくち百姓中宛の因幡守護山名氏奉行人連署奉書写(湖山区有文書)によると、百姓衆の働きを賞して諸公事・棟別などを免除し、籠伏(漁法の一種)は先規のとおり宇文うぶみ・溝之口両村として取計らうことが認められた。同奉書に袖判を据えている発給者は山名久通と推定される。当村には寛永一〇年(一六三三)以来一貫して二名の庄屋が置かれていたが(「畠水帳写」同文書など)、その淵源は戦国時代の宇文・溝之口二村が近世以降合併再編されたことにあると考えられる。

慶長一〇年(一六〇五)の気多郡高草郡郷帳に「小山」とみえ、高一千五〇八石余、田一〇九町九反余・圃二八町八反余、物成九七二石余。寛永一〇年の田方地詰帳写(湖山区有文書)によると田一〇五町余・分米一千八三八石余。前掲畠水帳写は二分冊のうち前半の一冊が欠失しているが、屋敷七〇筆(うち寺庵四)でその名請者五八(うち寺庵三)があり、ほかに年貢免除の「御蔵屋敷」があった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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