渡辺数馬(読み)わたなべ かずま

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「渡辺数馬」の解説

渡辺数馬 わたなべ-かずま

1608-1643* 江戸時代前期の武士
慶長13年生まれ。因幡(いなば)鳥取藩士。寛永11年伊賀(いが)(三重県)上野鍵屋の辻で,義兄荒木又右衛門の助けをかりて,弟源太夫のかたき河合又五郎を討ちはたした(日本三大仇(あだ)討ちのひとつ)。寛永19年12月2日死去。35歳。名は栄。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の渡辺数馬の言及

【伊賀越の敵討】より

…江戸時代の著名な敵討の一つ。備前岡山藩主池田忠雄の家臣に渡辺数馬という者があり,1630年(寛永7)7月その弟源太夫が同藩士河合又五郎に殺された。数馬は又五郎の父半左衛門に引渡しを求めたが応ぜず,又五郎を江戸に逃がし,旗本安藤治右衛門,久世三四郎らがこれをかくまった。…

【伊賀の水月】より

…講談。渡辺数馬が父(実録では弟)の仇河合又五郎を伊賀国上野で討ち取った事件,いわゆる伊賀越の敵討を描く。この物語は曾我兄弟,赤穂義士の仇討とともに日本三大仇討と呼び,講談でもよく演ずる。…

※「渡辺数馬」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」