渋谷庄(読み)しぶやのしよう

日本歴史地名大系 「渋谷庄」の解説

渋谷庄
しぶやのしよう

現綾瀬市・藤沢市など一帯に広がる。源頼朝挙兵や源平の合戦で活躍した有力武士に、武蔵国の豪族秩父氏の流れを引く「渋谷庄司重国」がいる(「吾妻鏡」治承四年八月九日条など)本所・領家は不明であるが、現地を支配していたのは、ここを名字の地とし、荘司の地位にあった渋谷氏であろう。おそらく平安時代末頃、渋谷氏が権勢のある寺社貴族などに寄進して荘園としたものと推定される。「吾妻鏡」養和元年(一一八一)八月二七日条によれば源頼朝は、重国の次男高重の功績を賞し、その所領「渋谷下郷」の年貢を免除している。同郷は荘内の南部かと思われるが、地域は明らかでない。重国の長男光重の子息たちはそれぞれ渋谷・早川吉岡大谷・曾司・落合の、いずれも彼らが父祖から分割して譲り与えられた荘内の郷村名を名乗る(「入来院氏系図」入来院文書)。現綾瀬市早川はやかわ吉岡よしおか落合おちあい海老名えびな市の大谷おおやはその名を残す地で、曾司そし早川村の小字に祖師谷そしやとがあり、「風土記稿」は早川村長泉ちようせん寺付近に「祖師山菩提寺」があったと記すので、早川の内にあたると思われる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報