清音寺(読み)せいおんじ

日本歴史地名大系 「清音寺」の解説

清音寺
せいおんじ

[現在地名]常北町下古内

藤井ふじい川が山門の南を流れ、鬱蒼たる杉木立に囲まれた参道の奥に、本堂・開山堂・書院がある。臨済宗南禅寺派、正しくは太古山獅子院清音禅せいおんぜん寺と号する。本尊は聖観音菩薩。

寺伝によると、大同四年(八〇九)弘法大師巡錫の折この地に草庵を構え、承和四年(八三七)大師の俗弟真雅が堂宇を建立、浄光じようこう寺と称した。仁明天皇から朝夷鎮護の勅諚を受けたと伝える。嘉禎三年(一二三七)炎上。文和元年(一三五二)佐竹義篤は復庵宗己を中興開山に招き、臨済宗の寺として清音寺を中興した。

清音寺
せいおんじ

[現在地名]西区東枇杷島町

松峯山と号し、曹洞宗。本尊薬師如来。寺伝によれば、太政大臣藤原師長が側室横江氏のために建立した。もとは琵琶びわ(現西春日井郡西枇杷島町)傍らにあり、天台宗であったという。応永年中(一三九四―一四二八)に大地震と洪水のために流失し、その後建立されたが、享禄年中(一五二八―三二)火災にかかって再び焼失したので現在地に移された。天文二二年(一五五三)正眼しようげん(現小牧市)の九世超鶚祖宗が再建したが(ただし祖宗は天文二二年正月七日没)、天正元年(一五七三)また類焼の難にあって灰燼に帰したという(西春日井郡誌)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報