浄土教(読み)じょうどきょう(英語表記)Jìng tǔ jiào

精選版 日本国語大辞典 「浄土教」の意味・読み・例文・類語

じょうど‐きょう ジャウドケウ【浄土教】

〘名〙 浄土の往生を説く教え。また、その教典。念仏によって、死後、浄土に往生し、仏果が得られると説く教え。日本では円仁・空也・源信などをへて成立した。良忍の融通念仏宗、法然の浄土宗、親鸞の浄土真宗、一遍の時宗などがこれに属する。
選択本願念仏集(1198頃)「謂宣浄土教者若千由旬十由旬已来竝須敬重親近供養

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デジタル大辞泉 「浄土教」の意味・読み・例文・類語

じょうど‐きょう〔ジヤウドケウ〕【浄土教】

仏語。極楽浄土往生することを説く教え。阿弥陀仏の誓いを信じ、念仏して死後に極楽浄土に生まれることを願う教え。浄土宗浄土真宗時宗融通念仏宗など。浄土思想

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改訂新版 世界大百科事典 「浄土教」の意味・わかりやすい解説

浄土教 (じょうどきょう)
Jìng tǔ jiào

仏典に説かれている諸仏とその建立した浄土をとく教説によって発達した教義信仰を総称していう。大乗仏教にあっては,菩薩は衆生を救済するため国土を浄める誓願をたて,無限の慈悲をそそぐ救済者たる仏になったのであって,それらの清浄な仏国土を浄土とよんだ。浄土には,兜率天(とそつてん)の弥勒浄土をはじめ,阿閦仏(あしゆくぶつ)の妙喜浄土,阿弥陀仏の極楽浄土,薬師仏の浄瑠璃浄土,さては霊山浄土観音浄土などを数えうるが,一般に浄土教という際には,弥勒浄土と阿弥陀仏の浄土,とくに阿弥陀仏の西方極楽浄土に往生し成仏することを説く教えを指すことが多い。

 兜率天で修行中で,釈迦没後56億7000万年にこの地上におりてきて竜華三会の説法を行うとされる弥勒菩薩を信仰する弥勒浄土信仰には,弥勒下生信仰と弥勒上生信仰の二つがあり,それぞれ《弥勒成仏経》《弥勒下生経》と《弥勒上生経》に説かれていて,これらを〈弥勒三部経〉とよぶ。中国における弥勒浄土信仰は,道安とその門弟に始まるとされ,法顕も西域やインドの弥勒信仰を伝え,北魏時代には隆盛をきわめ,竜門石窟の北魏窟,つまり5世紀末から6世紀前半にかけての時期には弥勒像が目だつ。しかし,隋・唐時代になると阿弥陀仏の西方浄土信仰にとってかわられる。ちなみに,中国では弥勒下生に名をかりた民衆反乱が頻発するのであるが,それらは阿弥陀信仰が弥勒上生信仰を圧倒した隋・唐以後であることは注目されてよかろう。ところで,《漢訳大蔵経》のなかで阿弥陀仏について説いている仏典は270余部で,大乗仏典全体の3割を占めていて,中国や日本では阿弥陀浄土の信仰が他の浄土教を圧倒して普及し,浄土教の名称を独占するかのごとき様相を呈するにいたる。この阿弥陀浄土をとくに説く浄土経典としては《般舟三昧(はんじゆざんまい)経》と《無量寿経》《阿弥陀経》《観無量寿経》のいわゆる〈浄土三部経〉がある。道安の弟子である東晋の慧遠(えおん)は,廬山の東林寺で僧俗123名と念仏結社,いわゆる白蓮社(びやくれんしや)の誓約をしたことで知られ,中国では慧遠を浄土宗(蓮社)の始祖と仰いでいる。ただし,慧遠を中心とする結社は高僧隠士の求道の集まりで,主として《般舟三昧経》に依拠して見仏を期し,各人が三昧の境地を体得しようと志すものであって,ひろく大衆を対象とする信仰運動ではなかった。日本の法然,親鸞らを導いた純浄土教義と信仰は,北魏末の曇鸞(どんらん)に始まり,道綽(どうしやく)を経て善導によって大成される。はじめ竜樹系の空思想に親しんでいた曇鸞は,洛陽でインド僧の菩提流支に会い,新訳の世親撰《無量寿経論》を示されて浄土教に回心し,のち山西の玄中寺でこれを注解した《往生論註》を撰述し,仏道修行の道として仏の本願力に乗ずる易行道につくことを宣布するとともに,いわゆる〈浄土三部経〉を浄土往生の信仰の中心とする浄土教義をうちたてた。〈浄土三部経〉とは,三国魏の康僧鎧訳《無量寿経》と南朝宋の畺良耶舎訳とされる《観無量寿経》と後秦のクマーラジーバ鳩摩羅什)訳の《阿弥陀経》で,そのうち《無量寿経》は漢訳5本のほかにサンスクリット本とチベット本の計7種があり,阿弥陀仏の本願を説いて浄土教義の基本となり,《阿弥陀経》はサンスクリット本やチベット本もあり,浄土のありさまを簡潔にまとめているので,最もよく読誦あるいは書写されて浄土教を普及したのに対し,《観無量寿経》はサンスクリット原典が残存せず,中央アジア撰述説,中国撰述説などが唱えられている経典である。

 曇鸞の没後まもなく,玄中寺の付近に生まれた道綽は,北周武帝による廃仏により還俗させられたが,玄中寺で曇鸞の行跡を記した碑に感激して,48歳にして浄土教に帰し,末法仏教運動を起こした。曇鸞の浄土教が《無量寿経》を中心とする傾向が強かったのに対し,隋・唐初に活躍した道綽と,その門下の善導とは,《観無量寿経》を中心に説法教化した。道綽の主著たる《安楽集》は《観無量寿経》の講義説法を集録した綱要書とされている。善導は,国都の長安に出て民衆を教化し,《観無量寿経疏》を著して曇鸞,道綽の浄土教義を整然と組織化するとともに,〈浄土変相〉などの絵画を描いた。そして《法事讃》《往生礼讃》などの阿弥陀仏への賛美歌やきびしい懺悔の告白を総合した宗教儀礼を制定し実践し,また〈南無阿弥陀仏〉と口に出してとなえる口称念仏を勧めた。慧遠流,善導流とともに中国浄土教の三流の一つに数えられるのが,慈愍三蔵(じみんさんぞう)慧日によって始められた慈愍流であって,禅浄双修の念仏禅の基礎を開き,その教えは南岳承遠や法照によって受け継がれた。法照は五会念仏の法を宣布したことで知られる。宋代以後は禅浄双修の教説が盛んとなり,浄土信仰は民衆のあいだに広範に浸透した。

 日本の浄土教は,飛鳥期における大陸からの弥勒像の伝来にともなう弥勒浄土信仰に始まる。弥勒信仰は白鳳期を経て奈良時代前期にはかなり栄えたが,奈良時代後期には遅れて伝来した阿弥陀信仰の方が優勢を占めるようになる。つぎの平安時代初期に樹立された天台宗の教団内に阿弥陀信仰の浄土教がおこり,とくに円仁が入唐して五台山に巡礼し法照の五会念仏にもとづく念仏三昧法を移入し,ついで源信が《往生要集》を著して地獄と極楽の詳細を描き出してから,浄土教の全盛時代を迎えるにいたる。平安末期から鎌倉時代にかけて,ひとえに善導によると称した法然は,源信の教義をも受けて専修念仏を強調し,《選択本願念仏集》を著して浄土宗を開き,その弟子の親鸞は《教行信証》を著して絶対他力の信仰を鼓吹し,浄土真宗の祖となり,また一遍は全国を遊行して念仏をすすめ時宗の祖とされる。彼らは,いずれも〈浄土三部経〉を所依の経典としたが,なかでも法然が《観無量寿経》を重視したのに対し,親鸞は《無量寿経》を,一遍は《阿弥陀経》を重んじた。浄土真宗は,室町時代に蓮如が積極的な教化活動をしたことにより日本最大の本願寺教団を生み出し,近代に至った。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「浄土教」の意味・わかりやすい解説

浄土教
じょうどきょう

仏教でとくに清浄な仏の国に往生(おうじょう)するよう努めることを説く教え。もともと浄土とは諸仏の住むところというが、釈尊の死後、仏塔、仏影、菩提樹(ぼだいじゅ)などによって、信者たちは現在仏、釈尊への帰依(きえ)を表していた。十方(じっぽう)の世界には無量の諸仏が現存するという大乗仏教の興隆により、阿閦仏(あしゅくぶつ)の東方妙喜(みょうき)国、阿弥陀仏(あみだぶつ)の西方十万億土の極楽(ごくらく)世界に生まれて見仏聞法して悟りを得ることを求める信仰が発展した。とくに万人の願いである無量の寿、無量の光をもつ阿弥陀浄土の思想は、クシャン(貴霜)王朝下の西北インドで、紀元100年ごろに成立したといわれる。阿弥陀浄土を説いた主要経典は、『無量寿経(むりょうじゅきょう)』『阿弥陀経』、中国で撰述(せんじゅつ)されたと疑われる『観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)』の浄土三部経であるが、『無量寿経』がその中心である。浄土往生には厳しい戒律生活や修行は要求されず、如来(にょらい)の本願を信じてただひたすら阿弥陀仏の名を唱えれば速やかに浄土に往生して不退転の位に入れるという信仰は、多くの人々の帰信するところとなった。

[牧田諦亮]

中国

179年(光和2)後漢(ごかん)の霊帝の世に支婁迦讖(しるかせん)が『般舟三昧経(はんじゅざんまいきょう)』を訳したことが、中国における浄土教の初伝として知られる。のち鳩摩羅什(くまらじゅう)らによって多数の浄土教経典が漢訳されて、インドの浄土教は中国に発展の機を得た。仏教が中国に入った経路にあたるシルク・ロードの重要な遺跡には、浄土教絵画・彫刻などを示す芸術作品が多くあったことが知られる。東晋(とうしん)、廬山(ろざん)の慧遠(えおん)(334―416)は『般舟三昧経』によって十方現在仏の一としての阿弥陀仏を想念する白蓮社(びゃくれんしゃ)という念仏団体をつくり、結社念仏をたてた。それは、後の中国の称名(しょうみょう)念仏とは異なるが、浄土教の始祖とされ、日本の浄土宗でも僧侶(そうりょ)の法名に蓮社号を用いる。中国仏教でとくに強調された末法(まっぽう)思想は、現実の不安定な世相に失望し、希望を後世に託そうとする浄土教信仰の発展に大きな影響を与えた。不老長生の法を求めんとした曇鸞(どんらん)(476―542)は菩提流支(ぼだいるし)から『無量寿経』を与えられて浄土念仏の修行者となる。その著『浄土論註(ろんちゅう)』はインドの二大思想(世親(せしん)の『浄土論』と龍樹(りゅうじゅ)の『十住毘婆沙論(じゅうじゅうびばしゃろん)』)を調和融合させたもので、このなかに庶民の浄土信仰の実践としての礼拝(らいはい)・讃歎(さんだん)・作願(さがん)・観察(かんざつ)・回向(えこう)の五念門が説かれ、中国浄土教の基礎を確立した。この後、道綽(どうしゃく)(562―645)、善導(ぜんどう)(613―681)らに受け継がれて中国人に相応した仏教としての浄土教が発展した。中唐以降には五台山の法照(ほうしょう)(?―821)が「五会念仏法事讃(ごえねんぶつほうじさん)」を中心として念仏の庶民化、普及に努めた。入唐(にっとう)僧円仁(えんにん)がこの五会念仏を日本に持ち帰り、日本浄土教の発展に大きな影響を与えた。宋(そう)代を通じて蓮社念仏は浙江(せっこう)省を中心に流行し、ついに禅浄(ぜんじょう)融合の念仏が中国仏教の主流となった。

[牧田諦亮]

日本

奈良時代に浄土経典が中国から将来され、その萌芽(ほうが)は智光(ちこう)、善珠(ぜんしゅ)らにもみられるが、中国の官立仏教の風を伝えた奈良時代には振るわなかった。平安時代、最澄(さいちょう)により天台宗が開創されると、比叡山(ひえいざん)常行三昧堂(じょうぎょうさんまいどう)に円仁が中国の五会念仏を将来、「不断(ふだん)念仏」として発展し、「朝題目夕念仏(あさだいもくゆうねんぶつ)」の独特の宗風がおこり、比叡山に住した源信(恵心僧都(えしんそうず))が『往生要集』を著し、浄土教発展に果たした役割はきわめて大きい。ひいては鎌倉時代に、法然(ほうねん)(源空)による浄土宗が確立し、親鸞(しんらん)によって浄土真宗が、一遍(いっぺん)(智真(ちしん))によって時宗が成立し、当時の社会不安や末法思想の流行と相まって日本浄土教の大成をみることとなる。

[牧田諦亮]

『望月信亨著『浄土教の起源及発達』(1930・共立社)』『望月信亨著『支那浄土教理史』(1942・法蔵館)』『藤田宏達著『原始浄土思想の研究』(1970・岩波書店)』『中村元他監修・編集『アジア仏教史 インド編Ⅲ 大乗仏教』(1973・佼成出版社)』

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百科事典マイペディア 「浄土教」の意味・わかりやすい解説

浄土教【じょうどきょう】

仏教の中で,阿弥陀仏を信じ,念仏を唱えて極楽浄土に生まれることを説く教派。《無量寿経》《観無量寿経》《阿弥陀経》を浄土三部経として根本に置く。インドでは竜樹(りゅうじゅ)・世親(せしん)によって早くから鼓吹され,中国では慧遠(えおん)の白蓮(びゃくれん)社をはじめ,念仏結社によって多くの信奉者を生じ,善導・慈愍(じみん)などによって唱導された。日本では比叡(ひえい)山の常行三昧(じょうぎょうさんまい)堂を中心に,良源の弟子源信などによって平安期から盛んであったが,法然(ほうねん)の浄土宗親鸞浄土真宗一遍時宗などの成立によって,仏教界の一大潮流をなした。芸能など日本文化への影響も大きい。
→関連項目阿弥陀仏回向往生要集快慶勧学会久遠実成浄土教版浄土教美術浄土信仰浄土庭園称名念仏曇鸞念仏平安仏教源隆国

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「浄土教」の意味・わかりやすい解説

浄土教
じょうどきょう

阿弥陀仏の救済によって浄土に生れ,悟りを開くという大乗仏教のなかの一つの流れ。浄土の観念自体は,ベーダ文献中に起源を求めることができ,それにヒンドゥー教などの影響も加わって成立したものらしいが,インドのクシャン朝頃には,阿弥陀仏信仰は民衆の間に普及し,『無量寿経』『観無量寿経』『阿弥陀経』の「浄土三部経」が成立した。馬鳴 (めみょう) ,龍樹,世親 (天親) らによって次第に体系化され,中国に移入されて非常に普及し慧遠 (えおん) に発する念仏結社,白蓮社,曇鸞,道綽,善導らによって盛んとなった。特に普及した原因の一つは,浄土思想が道教的観念と結合して民衆に受入れられたためと考えられる。日本でも空也,源信らを経て,法然によって浄土宗が創始され,その弟子である親鸞は浄土真宗を,また一遍は時宗を興し諸国を遊行して念仏を説き,その普及に努めた。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「浄土教」の解説

浄土教(じょうどきょう)

阿弥陀仏(あみだぶつ)にすがって,その仏国土である極楽浄土に往生(おうじょう)して,そこで悟って安楽を得る道を説く大乗仏教の教え。根本経典は『無量寿(むりょうじゅ)経』『阿弥陀経』『観無量寿経』の浄土三部経。この教えの原型は紀元前後のインドで成立したが,「南無阿弥陀仏」という六字の名号(みょうごう)を称えて浄土往生できるという信仰が流布したのは中国の善導(ぜんどう)(613~681)の影響が大きい。浄土信仰は7世紀には日本に伝わっているが,中国五台山に学んだ円仁(えんにん)によって比叡山で「山の念仏」の淵源が本格的に確立された。その流れから法然(ほうねん)が浄土宗を,親鸞(しんらん)が浄土真宗を興し,多くの日本人の心のよりどころとして現在に至っている。

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旺文社日本史事典 三訂版 「浄土教」の解説

浄土教
じょうどきょう

阿弥陀如来の住む浄土に往生することを願う仏教の教え
仏教は難行苦行を重ね,悟りに達せんとするが,時代の下るに従いやさしい教えが要望された。阿弥陀仏信仰はまずインドで芽生え,中国では4世紀以後,特に7世紀の道綽 (どうしやく) ・善導らによって顕著に展開された。わが国でも飛鳥仏教に始まるが,平安中期以降空也の諸国巡歴や源信の『往生要集』などにより盛んになり,法然・親鸞によって大成された。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「浄土教」の解説

浄土教
じょうどきょう

薬師如来の東方瑠璃光浄土や弥勒菩薩の兜率天(とそつてん),観音菩薩の補陀落山(ふだらくせん)など,仏・菩薩の住む浄土に往生し悟りを得ることを勧める教義を意味する。仏と浄土は阿弥陀如来と西方極楽浄土をさす。日本への伝来は古いが,平安時代に天台浄土教のなかから円仁・源信らが現れて教学と実践の基礎を築き,やがて鎌倉時代の法然・親鸞・一遍らが新宗派を形成する源流となった。

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世界大百科事典(旧版)内の浄土教の言及

【慧遠】より

…俗姓は賈(か)氏。中国浄土教の祖師といわれ,念仏の結社〈白蓮社〉の開祖とされる。廬山に住したので〈廬山の慧遠〉といい,隋代の地論宗の浄影寺の慧遠と区別している。…

【救い】より

…このような〈救済〉と〈解脱〉という対照的な概念は,さまざまな宗教経験を類型的に分析するうえで有効とされてきたが,もちろんキリスト教的世界に〈解脱〉的契機を内包する宗教経験が存在しなかったわけではなく,同様に仏教世界においても〈救済〉的な立場をとる宗教経験がなかったわけでもない。たとえばキリスト教世界における〈解脱〉的な宗教経験に属するものとしてグノーシス主義をあげることができ,それに対して仏教世界に属する〈救済〉的な宗教経験として浄土教信仰の系譜を考えることができよう。 仏教文化圏に発達した浄土教信仰では,阿弥陀仏の本願力(他力)によって無力な被造物(衆生)を救済するという教義が説かれ,それがしだいに大きな影響を及ぼすことになった。…

【罪】より

…すなわち(1)母を殺すこと,(2)父を殺すこと,(3)僧(阿羅漢)を殺すこと,(4)仏の身体を傷つけること,(5)教団の和合一致を破壊することの5種の罪をいい,無間(むげん)地獄に堕ちる罪であるから〈五無間業(ごむげんごう)〉ともいうが,これは基本的には同じ仏教でいう〈五悪〉(または〈十悪〉)や,キリスト教でいう〈七大罪seven deadly sins〉などと同じく道徳的規範に反する罪悪に属する。ところがのちになると,人間存在そのものが罪に覆われたものであるとの自覚があらわれ,それが極楽や地獄などの他界観や応報思想と結びついて浄土教的な罪業観が生じた。紀元後にインドで成立した浄土教は,このように原始仏教以来の倫理的な罪悪観をいっそう掘り下げたところに特徴があった。…

【曇鸞】より

…中国,北魏の僧。中国,日本の浄土教の祖。山西省北部の五台山近くの雁門で生まれ,出家ののちは竜樹系の四論(《智度論》《中観論》《十二門論》《百論》)の教義に親しんだ。…

【末法思想】より

… 仏教復興政策のとられた隋代になると,北周の武帝による亡国と廃仏を同時に体験した旧北斉領内の仏教徒たちを中心にして,末法仏教運動が急速に展開する。この濁悪末世の時代にふさわしい教法として提唱されたのが,太行山脈の東側の河北省の地におこった信行の三階教と,太行山脈の西側の山西省におこった道綽(どうしやく)の浄土教であった。信行や道綽は,《大集月蔵経》の説く末法時を現今と読みとることによって,末法仏教つまり今の我々を救う仏教を提唱した。…

※「浄土教」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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