朝日日本歴史人物事典 「清水金太郎」の解説
清水金太郎
生年:明治22.2.1(1889)
明治から昭和にかけての声楽家(バリトン)で,浅草オペラの中心人物。東京生まれ。明治43(1910)年東京音楽学校卒業。45年から帝国劇場歌劇部の幹部俳優・教師となり,2月の「熊野」で初舞台。来日したイタリアの演出家ローシーの指導で活躍。大正5(1916)年の歌劇部解散で,赤坂のローシーのローヤル館に移り,同館閉鎖直前の7年2月から,日本館の東京歌劇座に加入。浅草オペラで名作歌劇喜歌劇を編作上演する先鞭を付ける。以後妻静子と共に新星歌劇団を経て,金竜館の根岸歌劇団と震災後の森歌劇団の総帥格で活躍し,音楽大衆化に貢献。浅草オペラ消滅後,一時軽喜劇にも加わるが,42歳で病死。愛称シミキンは後年清水金一が受け継ぐ。
(増井敬二)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報