藤原義江(読み)フジワラヨシエ

デジタル大辞泉 「藤原義江」の意味・読み・例文・類語

ふじわら‐よしえ〔ふぢはら‐〕【藤原義江】

[1898~1976]テノール歌手。山口の生まれ。藤原歌劇団創設し、日本オペラ運動の先駆者となった。

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精選版 日本国語大辞典 「藤原義江」の意味・読み・例文・類語

ふじわら‐よしえ【藤原義江】

テノール歌手。山口県出身。藤原歌劇団を創設し、日本のオペラ運動の先駆者となった。明治三一~昭和五一(一八九八‐一九七六

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「藤原義江」の意味・わかりやすい解説

藤原義江
ふじわらよしえ
(1898―1976)

テノール歌手。明治31年12月5日山口県下関(しものせき)市生まれ。父は駐日ノルウェー総領事でイギリス人のリード。11歳で上京、1917年(大正6)新国劇に大部屋俳優として参加、一時、沢田の命名による戸山英二郎を名のったが、18年、田谷力三(たやりきぞう)の美声に魅せられ、オペラ歌手に転向浅草オペラの創始者伊庭孝(いばたかし)のもとで活躍した。20年イタリアに留学ミラノでガラッシ、ピネッティに師事、21年ロンドンのデビューリサイタルで認められ、以後、天性の魅力、楽天主義、体当たり主義で各界の有力者と知己になり、欧米の大都市の独唱会では「東洋のバレンチノ」と騒がれた。『朝日新聞』はこれを「我等(われら)のテナー」の見出しで報じ、22年の帰国第1回リサイタルは空前の人気を集めた。28年(昭和3)医学博士夫人・宮下あき(旧姓中上川(なかみがわ)、後の藤原あき)と結婚、「世紀の恋」の話題をまくが、53年(昭和28)離婚。34年藤原歌劇団を結成、本格的なオペラを日本の土にしようと、第二次世界大戦の始まるまでオペラとリサイタルの両面で内外で活躍。また『波浮(はぶ)の港』『出船』『鉾(ほこ)をおさめて』などの日本歌曲をレコードを通じて広く普及させた。戦後は52年に団員を率いて『蝶々(ちょうちょう)夫人』のニューヨーク公演を成功させた。47年度の芸術院賞を受賞。67年歌手業を引退。自伝『流転七十五年』がある。昭和51年3月22日死去。

[寺崎裕則]

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改訂新版 世界大百科事典 「藤原義江」の意味・わかりやすい解説

藤原義江 (ふじわらよしえ)
生没年:1898-1976(明治31-昭和51)

テノール歌手。父はイギリス人。新国劇を経て,1918年戸山英次郎の名で浅草オペラにデビュー。20年イタリアに留学,その美声に磨きをかけ,欧米各地で演奏活動を行う。34年藤原歌劇団を組織,《ラ・ボエーム》の公演を皮切りに,数多くのオペラの日本初演を行い,日本におけるオペラ運動の中核となった。美声と容姿に恵まれ広く人気を得た。第2次世界大戦後は藤原歌劇団の渡米公演を3度試みる(1952,53,56)など,つねに時代に先んじた積極的な行動を続けた。1947年度芸術院賞受賞。
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百科事典マイペディア 「藤原義江」の意味・わかりやすい解説

藤原義江【ふじわらよしえ】

テノール歌手。下関生れで父は英国人。新国劇をへて戸山英次郎の名で浅草オペラにデビュー。1920年イタリアに留学,欧米各国でリサイタル活動を行う。1934年藤原歌劇団を創設,同歌劇団を率いて3度(1952年,1953年,1956年)の渡米公演を行うなど日本のオペラ運動の推進に大きく貢献した。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「藤原義江」の意味・わかりやすい解説

藤原義江
ふじわらよしえ

[生]1898.12.5. 下関
[没]1976.3.22. 東京
テノール歌手。日本のオペラの開拓者。初めは戸山英次郎の芸名で浅草オペラに出演。 1919年イタリアに留学し,のちに欧米各地のオペラに出演。山田耕筰の日本楽劇協会の歌劇運動に協力し,34年藤原歌劇団を創立し,主宰者,スター歌手として経済的困難と戦いつつ日本に歌劇を定着させるため活躍した。日本歌曲の演奏者紹介の功績も大きい。日本芸術院賞,毎日音楽賞などを受賞。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤原義江」の解説

藤原義江 ふじわら-よしえ

1898-1976 大正-昭和時代のテノール歌手。
明治31年8月21日(戸籍上は12月5日)大阪生まれ。父はイギリス人N.B.リード。新国劇をへて浅草オペラでデビュー。大正9年イタリアに留学,欧米各地でリサイタルをおこなう。昭和3年中上川アキ(藤原あき)と結婚,のち離婚。9年藤原歌劇団を創設した。17年レジオン-ドヌール勲章。23年芸術院賞。昭和51年3月22日死去。77歳。

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