清富村(読み)きよどめむら

日本歴史地名大系 「清富村」の解説

清富村
きよどめむら

[現在地名]浜坂町清富

浜坂村北東岸田きしだ川の下流右岸に位置する。北部には観音かんのん(二四五メートル)がそびえ、集落は同山の南、岸田川が形成した沖積平地に発達。集落の南東方で久斗くと川が、北西方で田井たい川が岸田川に合流する。観音山の頂上には行基の開基と伝える天台宗の古刹相応峰そうおうみね寺がある。古くは極楽寺ごくらくじ村と称したといい、この村名は相応峰寺の旧称である極楽寺に由来するものと伝えられる。弘治三年(一五五七)の「但馬国にしかた日記」に「こくらく寺村」とあり、当地には「こくらく寺まこ兵衛殿」ほかが住し、また「中山」とあるのは地内の高目たかめ谷付近と思われ、同所には七郎左衛門殿・藤左衛門殿が住んでいた。相応峰寺の永禄年間(一五五八―七〇)の過去帳には「極楽寺ノ二郎三郎ノ親 道因」「極楽寺ノ池田十郎兵衛 道海」など極楽寺を冠した多くの人名が記載され、ほかに前出七郎左衛門殿にあたる「中山ノ七郎左衛門 道西」の名もみえる。

慶長六年(一六〇一)因幡国若桜藩領、元和三年(一六一七)幕府領、寛永四年(一六二七)旗本宮城豊嗣領となる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報