深泥ヶ池村(読み)みどろがいけむら

日本歴史地名大系 「深泥ヶ池村」の解説

深泥ヶ池村
みどろがいけむら

[現在地名]北区上賀茂深泥池町

深泥池の西、東鞍馬ひがしくらま(丹波街道)に沿って開けた上賀茂かみがも村の枝村。上賀茂神社に残る宝徳三年(一四五一)・享禄五年(一五三二)・天文一九年(一五五〇)検地帳をみると、宝徳の検地帳では深泥ヶ池村の地にはわずかに地蔵堂一宇を記すほか、人家らしいものが確認できないが、享禄・天文になると田地がなくなり、代わって「ミトロ池」に居住する田地耕作人が登場する。この付近の耕作人には賀茂岡本かもおかもと町居住ものが多いので、岡本町の作人が移住し村を成立させたとも推定される。

古くからの上賀茂社領で、東鞍馬道に沿う要地なので室町時代に上賀茂社は関を設けていた。「親長卿記」によれば、文明二年(一四七〇)冬、上賀茂社はこの「美曾呂池関」で朝廷御料所の山国やまぐに(現京都府京北町)からの運送物を押止め、ために関はいったん停止されたが、翌三年三月に上賀茂社は関の再開を朝廷に願出ている(同書同年同月二〇日条)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報