古村(読み)ふるまやむら

日本歴史地名大系 「古村」の解説


ふるまやむら

[現在地名]穂高町大字有明ありあけ 古厩

松本から越後糸魚川いといがわへ向けての古道千国ちくに道沿いにある。中世の千国道の追分。古代の駅のあったことを物語る地名。初見は、長享二年(一四八八)の諏訪社下社の春秋之宮造宮之次第(諏訪大社上社文書)で、「一三間拝殿矢原庄内古厩 古土田耳塚 今大祝」とある。中世仁科氏の一支族古厩氏の支配地域で、文禄年代(一五九二―九六)に成立した筑摩安曇両郡郷村御朱印御高附によると、新屋あらや嵩下たけのす鼠穴ねずみあな南原みなみばらの諸村がそのうちに含まれている。

当村の特殊産業は櫟林で飼育される山蚕である。


こたんむら

[現在地名]厚田郡厚田村大字古潭村

明治初年(同二年八月―同六年)から明治三五年(一九〇二)までの厚田郡の村。古潭川流域に位置し、北は押琴おしこと村・小谷こたに村・別狩べつかり村、西は海。近世コタンベツなどと記録される地域。「石狩国地誌提要」によると戸口は四七戸・一七九人(官宅三戸・永住三四戸、男七三・女六九、寄留四戸、士男一・庶男七・庶女一一、アイヌ六戸、男一二・女六)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報