浦河内村(読み)うらかわちむら

日本歴史地名大系 「浦河内村」の解説

浦河内村
うらかわちむら

[現在地名]松橋町浦川内うらかわち

東はだんの山など標高一七〇―一八〇メートルの山々を境として下郷しもごう(現豊野村)、北は萩尾はぎお村、南は豊福とよふく村・内田うちだ村、西は久具くぐ村・曲野まがの村に接する。畑地山林が多く、水利の便は多くの溜池や堤に頼ってきた。牛尾ぎゆうのお八枝やつえを筆頭に大小の溜池がある。「郡村誌」にもほかに畑田はただつじ前平まえひら和田わだの溜池が記されている。古くは宇土うと郡に属し、字川床かわどこには治承五年(一一八一)二月、菊池隆直らと反平氏の乱を起こしたとされる緒方三郎惟義にまつわる伝承があり、惟義の墓なるものが残る(「吾妻鏡」には豊後国住人)。慶長国絵図に村名の記載はなく、石高萩尾村に含まれているが、慶長一二年(一六〇七)検地帳が作成されている(「肥後豊後検地諸帳目録」県立図書館蔵)

浦河内村
うらかわちむら

[現在地名]松浦市今福町いまふくちよう 浦免うらめん

今福村の北に位置し、今福川が流れる。江戸時代ははじめ平戸藩領今福村のうちで、正保国絵図に浦河内村とあり、高八三六石余。寛文四年(一六六四)より旗本松浦領(今福松浦領)となる。元禄一二年(一六九九)の平戸領分郷村帳に今福村枝村浦川内村内一二石余とあり、一部は引続き平戸藩領であった。

浦河内村
うらがわちむら

[現在地名]勝山町浦河内

宮原みやばる村の北西矢山ややま村の西に位置する。平尾ひらお台南麓、長峡ながお川源流(浦河内川)の狭小な谷にある三つの小集落で構成されている。正保国絵図に「宮原ノ内浦河内」とみえ、正保(一六四四―四八)頃は宮原村に含まれていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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