浅草公園地(読み)あさくさこうえんち

日本歴史地名大系 「浅草公園地」の解説

浅草公園地
あさくさこうえんち

[現在地名]台東区浅草一―二丁目

明治六年(一八七三)浅草寺境内一帯に成立。同年一月公園設立に関する太政官布告が出され、同年三月二五日、東京府は浅草寺・寛永寺・芝増上寺・深川富岡とみおか八幡飛鳥あすか(現北区)の五ヵ所を公園として整備することを決定した。浅草寺境内・同寺有地計約一一万四千五〇九坪は同四年の社寺領上知令によって没収されていたが、同六年このうちの一部約三万三千坪が公園に指定された。これはのちの浅草一―二区・同四―五区にあたり、これにより以前から地域内に出店していた商人からの地代は国に納められることとなった。同九年一一月には新しく伝法でんぼう院とその隣接地および旧浅草寺火除地(のちの浅草三区・六区)一万三千七七九坪余が加えられ、さらに同年一二月には浅草新畑あさくさしんはた町・浅草北田原あさくさきたたわら町三丁目・浅草象潟あさくさきさがた町・浅草花川戸あさくさはなかわど町・浅草聖天あさくさしようでん町・浅草田あさくさた町一丁目・浅草馬道あさくさうまみち町一―八丁目と千束せんぞく村の一部の五万五千五四八坪余を一〇年間公園付属地とできるよう内務省に申請し、認められている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報