津野山郷(読み)つのやまごう

日本歴史地名大系 「津野山郷」の解説

津野山郷
つのやまごう

高岡郡の西端部にある九ヵ村の江戸時代の総称。中世津野庄を背景として勢力を伸長した津野氏領の最奥の山分の地であった。郷を形成する九ヵ村は越知面おちおも村・檮原村四万川しまがわ村・初瀬はつせ村・中平なかひら村・松原まつばら(現檮原町)船戸ふなと村・芳生野よしうの村・北川きたがわ(現東津野村)。これらの村の枝郷をも含めると二三ヵ村になる。檮原村には郷を統轄する大庄屋が置かれ、他の八ヵ村にはそれぞれ庄屋が置かれた。寛保郷帳によると郷内の戸数二千一九三、人口九千七四六、馬一千三一九、牛二五五、猟銃七三三となる。現在の檮原町東津野村の人口総計は九千二八七(昭和五五年国勢調査)近世よりも少ない。地高は元禄地払帳によると本田三千五四石余、新田四千九一〇石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の津野山郷の言及

【東津野[村]】より

…村内には船戸遺跡,北川遺跡などの縄文遺跡が点在。中世には,津野荘一帯に勢力を有した津野氏領の最奥の地で,当村から檮原町にかけては津野山郷と呼ばれた。五山文学の双璧と称される義堂周信絶海中津はともに津野氏の一族で,船戸の出身と伝える。…

【檮原[町]】より

…北と西は愛媛県に接し,北東部には地芳(じよし)台があって四国カルストの台地が東隣の東津野村に連なる。中世は津野荘一帯を支配した津野氏の勢力下にあり,当町から東津野村にかけては津野山郷とよばれた。近世には紙の生産が盛んで,1755年(宝暦5)には藩の統制に抗して津野山騒動が起こっている。…

※「津野山郷」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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