津守郷(読み)つもりごう

日本歴史地名大系 「津守郷」の解説

津守郷
つもりごう

和名抄」は訓を欠く。津守を称する郷は「和名抄」によると摂津国菟原うはら郡・越前国敦賀つるが郡・豊後国くにさき郡・肥後国託麻たくま郡にもあるが、いずれも古代の港のあった地である。当郷にはとくに六世紀中葉以降の代表的な国家的港津であった難波津が存在したことからこの郷名がある。難波津は現大阪市南区の三津寺みつてら町付近に存在したと推定されており、郷域は住吉郡に接する沿岸部を主体とした地域であろう。「日本地理志料」「大日本地名辞書」も同様の地域を比定している。

天平宝字四年(七六〇)一一月一八日付の東大寺三綱牒(東南院文書)に、西成郡の郡司四等官の一人として「擬主帳正八位下津守連白麻呂」が署名している。

津守郷
つもりごう

「和名抄」所載の郷。同書高山寺本・東急本とも訓を欠くが、若狭国敦賀つるが郡の同名郷に東急本が「都毛利」の訓を載せる。「津守」は摂津住吉すみよし(現大阪市)を守った職名に基づく名称である。「新撰姓氏録」摂津国神別に大津首・大津の氏名がみえるが、摂津国西成にしなり郡津守郷(現同市)にかかわるもので、当郷との関係は不詳。郷域について「摂津志」はもり(現神戸市東灘区)にあてる。

津守郷
つもりごう

「和名抄」東急本は上嶋うえしま郷の次に置く。東急本・高山寺本ともに訓を欠く。「日本地理志料」は「都毛利」と訓を付す。中世には健軍けんぐん社領津守つもり保となり託麻東たくまとう郷に属した。津守保の初見は建仁二年(一二〇二)。現上益城かみましき郡益城町の東部、赤井あかい川の上流域で、南北朝期には阿蘇氏庶流光永氏の居城津守城があった。

津守郷
つもりごう

「和名抄」道円本・高山寺本・東急本ともに津守とみえる。郷域は遺称地である現大分市津守とその周辺のまがり片島かたしまなど大分川右岸から敷戸しきど地区に及ぶと考えられる。津守地名から畿内の豪族津守氏との関係や、国津的位置付けも考えられる。推定郷域には滝尾守岡たきおもりおか横穴墓群・曲迫まがりさこ横穴墓群・曲平まがりたいら横穴墓群・いちさこ横穴墓群など、郷成立の前提となる遺跡も多い。また当郷には馬場ばば立石尾たていしお横大道よこおおみち車谷くるまだになど古代官道に関連する地名が多く、高坂たかさか駅から海部郡丹生にゆう駅への駅路が整備されていたと想定される。

津守郷
つもりごう

「和名抄」東急本は「都毛利」と訓ずる。天平神護二年(七六六)一〇月二一日付越前国司解(東南院文書)に郡名がみえる。貞和二年(一三四六)三月の行豊田地売券(西福寺文書)に「合壱町者字長沢、在越前国(敦)賀津守郷道口之内」とあり、現敦賀市の敦賀湾南岸近くの長沢ながそを含む地域に比定される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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