波合村(読み)なみあいむら

日本歴史地名大系 「波合村」の解説

波合村
なみあいむら

[現在地名]浪合

江戸時代中期頃の成立と考えられる「浪合記」「信濃宮伝」「知久記」(知久健夫氏蔵文書)などによれば、応永三一年(一四二四)に宗良親王(後醍醐天皇第八皇子)の子とされる尹良親王が、北朝方の飯田太郎・駒場次郎らに当地の大河原おおかわらで襲撃されて宮の原みやのはらで戦死し、その後、良王親王(尹良親王の子)も当地において襲撃されたが、かろうじて難を逃れたと伝えられる。また、守永親王(後醍醐天皇の孫)が北朝方の小笠原氏に敗れて戦死した地ともいわれる(下伊那史)ほか、足利直義の子之義も反直義党のために殺害されたと伝えられている(同書)。このように、波合は南朝皇胤にかかわる伝承の地として知られ、尹良親王のほか親王に随従した新田一族の墓や、御所平ごしよだいら・宮の原・隠山かくれやまじんはた般若洞はんにやぼら忍沢しのびざわ矢越やごしなど伝承にかかわる地名が数多く現存しているが、いずれも史実として証明できるものはなく、「浪合記」などの作為によるものとされている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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