泡斎念仏(読み)ホウサイネンブツ

デジタル大辞泉 「泡斎念仏」の意味・読み・例文・類語

ほうさい‐ねんぶつ〔ハウサイ‐〕【泡斎念仏】

念仏踊り一種。江戸初期、常陸ひたちの僧泡斎が、寺院修理の勧進のために江戸市中で始めたもの。数人一団となって、造花を笠に挿し、太鼓かねを鳴らし、踊り狂いながら家々を回って銭を乞い歩いた。

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精選版 日本国語大辞典 「泡斎念仏」の意味・読み・例文・類語

ほうさい‐ねんぶつ ハウサイ‥【泡斎念仏】

〘名〙 踊り念仏の一種。慶長一五九六‐一六一五)の頃、常陸の僧泡斎が寺院修理の勧進のため江戸市中で始めたもの。後、寛永一六二四‐四四)頃からは、物乞いが造花を笠にさし、太鼓・鉦で拍子をとり、市中を踊りながら念仏をとなえ回ったものをいう。
評判記・そぞろ物語(1641)哥舞妓太夫下手の名をうる事「取分猿若出て、色々の物まねするこそおかしけれ、はうさい念仏、猿まわし」

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改訂新版 世界大百科事典 「泡斎念仏」の意味・わかりやすい解説

泡斎念仏 (ほうさいねんぶつ)

踊念仏の一種。江戸時代初期から中期にかけて行われた。とくに江戸の葛西かさい)地方で流行したので葛西念仏ともいう。慶長(1596-1615)のころ,常陸(ひたち)(茨城県)の泡斎坊という僧が勧進のために始めたと伝える。《本朝世事談綺》には,〈泡斎という狂人の法師ありて,町小路を奔(はし)る。わらんべあつまり,気違よ泡斎よとはやせり〉とあり,鉦,太鼓を打ち噺しての狂乱的な踊念仏であったようである。
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