法目村(読み)ほうめむら

日本歴史地名大系 「法目村」の解説

法目村
ほうめむら

[現在地名]茂原市法目

高田たかだ村の南東に位置し、北部赤目あかめ川が東流する。かつて本納ほんのう村と一村で、延宝六年(一六七八)に分村したというが(法目区有文書)、文禄三年(一五九四)の上総国村高帳に法目村とみえ、高五八一石。寛文八年(一六六八)の鷹場五郷組合帳に村名がみえる。寛政五年(一七九三)の上総国村高帳では高六六八石余、幕府領と旗本飯田・長田富永真田・大岡・花房・小栗領の相給で、家数一六八。改革組合帳では武蔵岩槻藩領が加わっており、旧高旧領取調帳では幕府領に代わって鶴牧藩領がみえる。家数は享保一〇年(一七二五)に一六〇軒、文政一一年(一八二八)に一七三軒(うち農間渡世二八)、明治四年(一八七一)には一六三軒であった(法目区有文書)

法目村
ほうめむら

[現在地名]白井町ふく南山みなみやま一―三丁目など

長殿ながとろ村の南、二重ふたえ川左岸に位置。川沿いに田地があり、台地上は畑や林が多い。「寛文朱印留」に村名がみえ、佐倉藩領。元禄一三年(一七〇〇)頃の下総国各村級分では高六四石余、旗本筒井領。以後幕末まで同じ。安永五年(一七七六)の日光社参では山崎やまざき(現野田市)助郷を勤高六三石余で負担しているが(松本家文書)、嘉永五年(一八五二)当時橋本はしもと村の定助郷であった(秋本家文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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