法林寺村(読み)ほうりんじむら

日本歴史地名大系 「法林寺村」の解説

法林寺村
ほうりんじむら

[現在地名]福光町法林寺

中江なかのごう村の西の山裾にある。古くは横枕よこまくら村とよんだという伝えがある(越の下草)。「善徳寺系譜」などによれば、善徳ぜんとく寺初世実円(没年は永正六年もしくは大永七年という)善徳寺を加賀砂子坂すなござか(現石川県金沢市)から「法林寺里」へ移し、さらに南の山本やまもとへと移したという。地名の由来となった法林寺は医王いおう開往かいおう寺の支坊とみられる(福光町史)。元和五年(一六一九)の家高新帳には「はうりんし」とみえ、広瀬組に属し、役家数二一。正保郷帳では高七六四石余、田方四〇町四反余・畑方一〇町五反。寛文一〇年(一六七〇)の村御印では草高八〇二石、免六ツ三歩、小物成は山役一二一匁(三箇国高物成帳)。寛政四年(一七九二)には三清元組に属し、家数五四・頭振家数四、惣人数二八八、馬一一、肝煎又吉、組合頭又太郎・五助であった(「三清元組覚帳」川合家文書)

法林寺村
ほうりんじむら

[現在地名]本巣町法林寺

文殊もんじゆ村の北西に位置し、標高三〇〇メートルを超える山地の谷間に開けた平野部に集落がある。法蓮寺村とも称した。古墳時代後期に属する法林寺古墳が楞厳りようごん寺境内にある。武儀むぎ武芸川むげがわ恵利えいり寺蔵の大般若経奥書に、寿永二年(一一八三)三月一二日美濃国法輪ほうりん寺住僧昇西が書写したと記す一巻(巻四一〇)がある。恵利寺には文殊寺僧書写の九巻も伝存しており、法輪寺は文殊寺と関係深い寺であったと考えられ、寺は当地にあった可能性がある。中世仲村なかむら庄に含まれた。関ヶ原の合戦後は織田長孝(野村藩)領、村高一三〇石余(「織田長孝知行書上写」横蔵寺文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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