法光寺村(読み)ほうこうじむら

日本歴史地名大系 「法光寺村」の解説

法光寺村
ほうこうじむら

[現在地名]名川町法光寺

八戸はちのへ城下(現八戸市)南西名久井なくい(六一五・四メートル)の東山麓に位置する。南東鳥舌内ちようしたない村、西は盛岡藩泉山いずみやま(現三戸町)、北は上名久井かみなくい村に接する。

藩政当初は盛岡藩に属したが、寛文四年(一六六四)八戸藩の創設とともに同藩領に編入された。元禄一〇年(一六九七)の郷村御内所高帳に名久井通なくいどおり村八ヵ村の一として村名がみえ、高四三四・八四五石、うち田二二七・九九六石とある。

法光寺村
ほうこうじむら

[現在地名]西尾市法光寺町

市の北西に位置し、碧海へきかい台地上に集落がある。北は小間おま村、東は下町しもまち村、南は羽塚はつか村、西は中畑なかばた村に接する。村名の由来は、屋敷やしきの地にある臨済宗妙心寺派の法光寺より出るという。同寺は、上町かみまち実相じつそう寺の塔頭で、文永八年(一二七一)実相寺と同時の創建と伝え、永禄元年(一五五八)の今川義元の寄進状を所蔵する。朱印地一三石。白山神社は、文永年間西条さいじよう城主吉良満氏の勧請したものといい、吉良氏の崇敬が厚く、のち一村の氏神となった。

法光寺村
ほうこうじむら

[現在地名]金沢市法光寺町

柳橋村の北に位置。北陸街道が通る。村名はかつて当地にあった真宗大谷派光専こうせん寺の前身、法光寺にちなむという(加賀志徴)。「天文日記」天文五年(一五三六)一〇月二二日条に幕府奉公衆海老名次郎頼重の知行「長屋村内宝光寺文」の申付依頼があり、証如は同月二八日に申付けている。「賀州本家領謂付日記」に「河北」の注記があり、当地と考えられる。正保郷帳によれば高二一二石余、田方一三町二反余・畑方九反。

法光寺村
ほうこうじむら

[現在地名]吉川町法光寺

田谷たや村の東に位置し、美嚢みの川支流の湯谷ゆだに川右岸の丘陵地に立地する。中世には吉河上よかわかみ庄に含まれた。真言宗法光寺の門前村。慶長国絵図に法光寺とみえ、その後の郷帳類にはいずれも法光寺と記され、「寛文朱印留」には法光寺村と記されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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