河村光陽(読み)かわむら こうよう

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「河村光陽」の解説

河村光陽 かわむら-こうよう

1897-1946 昭和時代の作曲家。
明治30年8月23日生まれ。藤井清水,中田章らに師事。小学校音楽教師をつとめながら,合唱会を主宰するなど児童の音楽指導に力をそそぐ。日本の伝統的音楽の要素をいかした「嬉しい雛(ひな)まつり」「かもめの水兵さん」などの童謡を作曲した。昭和21年12月24日死去。50歳。福岡県出身。小倉師範卒。本名は直則。作品はほかに「赤い帽子白い帽子」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の河村光陽の言及

【童謡】より

…また昭和に入ると外国資本の導入によって生産形態を整えたレコード会社が童謡の量産体制に入り,童謡が歌謡曲と並んで商品化された。歌謡曲の世界でも大活躍していた野口雨情作詞,中山晋平作曲のコンビによる《あの町この町》《雨降りお月》や,河村光陽(1897‐1946)作曲の《ひなまつり》など今もよく歌われる歌が輩出した。しかし,子どもの流行歌としての〈レコード童謡〉の量産がその質の低下をもたらし,戦後再び子どもの歌の運動が起きた。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」