河口湖町(読み)かわぐちこまち

日本歴史地名大系 「河口湖町」の解説

河口湖町
かわぐちこまち

面積:六〇・八九平方キロ

郡の北西端にあり、河口湖の南岸・東岸・北岸に広がる町。南から南東にかけては富士山裾野原野で、原野の西方鳴沢なるさわ村、東方で富士吉田市に接している。原野の東側にけん丸尾溶岩流、西側に船津ふなつ溶岩流がある。北東の三ッ峠みつとうげ山で西桂にしかつら町と境する。北西は同山から連なる御坂みさか(一五九六メートル)くろ(一七九二・七メートル)大石おおいし(標高一五二七メートル)などがあり、これらの山々によって東八代郡御坂町・芦川あしがわ村と境している。西側は河口湖西岸足和田あしわだ村、南岸の勝山かつやま村と接する。甲府市方面に向かう国道一三七号、静岡県富士宮市方面に向かう国道一三九号が通る。明治一一年(一八七八)まで都留郡に属した。

上吉田かみよしだ(現富士吉田市)から西行した鎌倉街道は船津から河口湖東岸を北上、河口を経て御坂峠にかかる。同街道は甲斐路または御坂路と呼称された律令官道で、「延喜式」にみえる川口かわぐち駅は河口地内に比定される。貞観七年(八六五)官社に列したと伝える八代郡の浅間神社について、河口が古くは同郡に属したとして、地内の河口浅間かわぐちせんげん神社をこれに当てる説がある。鎌倉期には日蓮や時宗二祖真教が河口に宿しており、鎌倉街道の重要性が知られる。戦国期には河口に御師宿が形成されたと考えられ、富士山への登拝拠点となった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報