沖善津村(読み)おきぜんつむら

日本歴史地名大系 「沖善津村」の解説

沖善津村
おきぜんつむら

[現在地名]稲垣村吉出よしで

北は出崎放水でさきほうすいに沿って再賀さいか派、東は田圃を隔てて吉出よしいで村、南は出崎村(現木造町)、西は千歳ちとせ村に接する。

元禄五年(一六九二)作製の広須新田総絵図に村名が記載されているという(西津軽郡史)。「平山日記」の享保一二年(一七二七)には村名がないが、「津軽平野開拓史」に村名だけあり、広須組に属し、川通三二ヵ村の一つで村位は下と定められたと推定される。元文元年(一七三六)検地帳によれば、田畑屋敷合せて二一町七反一畝六歩、村高は一三四・九九一石であった。うち田方は二〇町二反二四歩で一三一・四七六石、下田下々田のみで、八町八反余と八町五反余でほぼ同じであり、畑方は一町四反九畝二歩で三・五一五石、下畑と下々畑だけで、下々畑が一町二畝一七歩、一・〇二六石とある(数字は史料のとおり)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報