永吉(読み)ながよし

日本歴史地名大系 「永吉」の解説

永吉
ながよし

南北朝期から室町期の名田名。大禰寝おおねじめ(禰寝院北俣)のうち。延文六年(一三六一)一二月五日の島津氏久兵粮料所預ケ状(禰寝文書)によると、「大禰寝院内永吉并郡本地頭得分」が兵粮料所として禰寝郡司(久清)に預け置かれている。永徳四年(一三八四)七月一〇日、島津孝久(元久)郡本こおりもと永吉内の田薗を町田五郎(清久)に給分として与えており(「島津孝久宛行状」町田氏正統系譜)、応永七年(一四〇〇)三月一七日に元久はそれを本給分として町田飛騨守(久清)に安堵している(「島津元久安堵状」同系譜)。久清は清久の第三子で、志布志阿多氏の祖である(阿多氏系図・町田氏正統系譜)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報