水野敏之丞
みずのとしのじょう
(1862―1944)
物理学者。福岡県生まれ。1890年(明治23)帝国大学理科大学物理学科を卒業。第三高等学校教授を経て、京都帝国大学理科大学助教授となり、1914年(大正3)同大教授。1918年帝国学士院会員に推され、また学術研究会議物理学副部長、京都帝国大学総長を歴任。1899~1900年ドイツに留学、1900年理学博士。電磁気学、電波の理論的研究を行い、日本の電磁気学分野の開拓者として知られる。アインシュタインの相対性理論に反対して『反相対性理論』を書いた。
[井原 聰]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
水野敏之丞 みずの-としのじょう
1862-1944 明治-昭和時代前期の物理学者。
文久2年6月2日生まれ。ドイツ留学後,明治35年京都帝大教授となり,大正3年同大理科大学長。電磁気学,とくに電磁波を研究し,無線通信の実用化につくした。昭和19年6月22日死去。83歳。筑後(ちくご)(福岡県)出身。帝国大学卒。
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