比良牧・比良庄(読み)ひらのまき・ひらのしよう

日本歴史地名大系 「比良牧・比良庄」の解説

比良牧・比良庄
ひらのまき・ひらのしよう

武奈ぶなヶ岳(一二一四・四メートル)東麓、比良川に沿って開けた庄園で、庄域は現南比良・北比良一帯に比定される。古代は比良牧に含まれ、のち庄園化し、当庄および北の小松こまつ庄、南の木戸きど庄の三庄が成立。本庄木戸庄に対し、新庄ともいう。西は葛川かつらがわ(現大津市)に接する。長保三年(一〇〇一)六月二六日の平惟仲施入状案(高野山文書)に「滋賀高島両郡比良牧」とみえ、白川寺喜多院(のちの寂楽寺、跡地は現京都市左京区)に施入された。長久三年(一〇四二)一二月二〇日の寂楽寺宝蔵物紛失状案(同文書)によると、比良牧の四至は東は琵琶湖、西は下立おりたて山、南は「守山南龍花下大道」(現大津市伊香立上龍華町付近か)、北は「高嶋郡勝野浜勝須阡陌」(現高島郡高島町勝野付近)、四至内の所領は山二千町、荒閑地八七六町であった。

「玉葉」建久六年(一一九五)九月一日・八日条によれば、法勝ほつしよう(跡地は現京都市左京区)末寺舞楽領の「比良庄民」は、延暦寺釈迦堂衆より魚肉売買の罪で訴えられている。弘長元年(一二六一)の葛川との相論時に作成されたと推定される木戸・比良両庄百姓等申状案(葛川明王院史料)に両庄とも延暦寺根本中堂領とみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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