木戸庄(読み)きどのしよう

日本歴史地名大系 「木戸庄」の解説

木戸庄
きどのしよう

木戸三ヶ庄・三ヶ庄・三箇庄とも記す。三ヶ庄とは江戸期の木戸村・荒川あらかわ村・大物だいもつ村とされ、蓬莱ほうらい(一一七四・三メートル)東麓から琵琶湖岸にかけてを庄域とする。南は和邇わに庄、北は比良庄、西は葛川かつらがわ(現大津市)と境を接する。弘安三年(一二八〇)七月一三日の比良庄堺相論絵図(室町期の写、伊藤家蔵)は、当庄を「比良ノ本庄」、比良庄を「比良新庄」と記す。「山槐記」治承三年(一一七九)一〇月三日条によると、延暦寺の学生と堂衆が争ったとき、「三箇庄」に籠った堂衆追討のため官兵を派遣。堂衆が勅命を受入れて退散したため、追討は中止となった(同書同月二五日・三〇日条)。しかしこれ以後も堂衆は木戸庄を本拠としており、建仁三年(一二〇三)八月六日には三箇庄の軍勢を率いて学生方の城郭を攻め(「明月記」同月一一日条、「吾妻鏡」同年九月一七日条)、元久元年(一二〇四)七月には戦いに敗れた堂衆の残党が「木戸三个庄」に城郭を構えている(華頂要略)。堂衆による領知は当庄が延暦寺根本中堂領であったことに基づき、嘉禄二年(一二二六)七月には同寺楞厳りようごん院領和邇庄と境相論を起こしている(天台座主記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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