比良村(読み)びらむら

日本歴史地名大系 「比良村」の解説

比良村
びらむら

[現在地名]穴水町比良

七尾北湾の中居なかい入江に注ぐ住吉すみよし川河口付近にあり、内浦街道に沿い、西はかじ村、東は川尻かわしり村を経て曾山そやま村に至る。北は山越え伊久留いくろ村へ通ずる。天文元年(一五三二)七月の諸橋六郷・南北棟数注文写(諸橋稲荷神社文書)によれば、南北なんぼくのうち「ひら月崎」で棟役を負担する役屋は二八間とある。月崎つきざきは現在比良の小字名となり、住吉小学校の辺りをさす。戦国後期頃には「飛良」は後藤氏嫡家、月崎は庶流の後藤忠兵衛の知行分であった(「能登内浦村々給人注文写」諸橋文書)。天正六年(一五七八)八月、穴水城を奪回した長好連(連竜)が上杉方の来襲を迎え討つため、月崎の地に陣を布き、合戦で勝利を得たと伝える(長家譜)

寛文七年(一六六七)住吉川河口に長さ八間半・幅一間の橋が架けられ、伊久留往来などに便利となった(大西文書)

比良村
ひらむら

[現在地名]西区山田やまだ町比良

しん川の南にある。大野木おおのぎ村の北にある。村内の中央を南北に小牧―犬山街道が縦貫していた。高田こうでん(現西春日井郡師勝町)旧蔵の梵鐘に「比良佐々下野守藤原貞則(中略)大永五年十二月廿日」(尾張名陽図会)とみえ、高田寺現蔵の棟札に「天文庚子年(中略)春日井郡比良村」とみえる。天文庚子年は九年(一五四〇)。大雲永瑞(永禄五年没)の「大雲禅師語録」に「大日本国東海道尾張州春日郡(ママ)高田ノ保比良ノ郷居住三宝ノ弟子智岳理宗大姉」とみえ、織田信雄分限帳に「千八十貫 古ノ比良郷」とみえる。

寛文一一年(一六七一)家数八六、人数五六二(寛文覚書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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