正法寺(京都市)(読み)しょうぼうじ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「正法寺(京都市)」の意味・わかりやすい解説

正法寺(京都市)
しょうぼうじ

京都市東山区霊山(りょうぜん)町にある時宗(じしゅう)国阿(こくあ)派大本山。霊鷲山(りょうじゅぜん)無量寿院と号する。寺伝によれば、延暦(えんりゃく)年間(782~806)最澄(さいちょう)が天台別院として草創、宇多(うだ)天皇の代に釈迦如来(しゃかにょらい)像(現存の俗称寝釈迦)を安置した霊山寺を起源とする。のち法然(ほうねん)(源空)がここを念仏道場としたが、1383年(弘和3・永徳3)国阿上人(しょうにん)が入寺して阿弥陀(あみだ)堂を建立、時宗国阿派の本山として寺号も正法寺と改めた。後小松(ごこまつ)天皇、足利義満(あしかがよしみつ)など当時の権門が上人に深く帰依(きえ)して寺威隆盛となり、末寺42、塔頭(たっちゅう)14院を数えたという。応仁(おうにん)の兵火で焼失、天正(てんしょう)年間(1573~92)に再興されたが衰微の一途をたどり、明治維新の廃仏棄釈によって子院の清林院が正法寺を号した。1893年(明治26)火災により現本堂(旧開山堂)のみが焼失を免れた。山内は眺望・庭園美に優れ、古来、文人詩歌に詠まれた。また木戸孝允(たかよし)ら勤王の志士墓碑などがある。

[大鹿実秋]

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