正平寺(読み)しようへいじ

日本歴史地名大系 「正平寺」の解説

正平寺
しようへいじ

[現在地名]横手市田中町

正平寺町(現田中町)にあり、曹洞宗、大義山と号し、本尊十一面観音。

一一世紀末、藤原清衡の三男小館三郎正衡草創の明永山大義だいぎ(奥州中尊寺末、天台宗)前身とされ、文治五年(一一八九)の源頼朝の平泉藤原一族討滅後、荒廃していた同寺を、横手平城城主小野寺泰道が長禄年中(一四五七―六〇)現在地に移転再建して大義山正平寺と改め、曹洞宗寺院としたと伝える(雪の出羽路)大義寺は、上八丁かみはつちよう村の明永みようえい(現横手市赤川字野ぎわ)にその跡が現在も小高い地として残っている(横手郷土史資料)

正平寺造営の地は、小野寺「家中大御堂三左衛門屋敷成田地、大御堂字所是也」(雪の出羽路)と現在地を示し、また大義寺にあった正衡廟を当山の鎮守として正衡大明神として祀った(同書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報