正安寺(読み)しようあんじ

日本歴史地名大系 「正安寺」の解説

正安寺
しようあんじ

[現在地名]佐久市大字内山 松井

宝寿山と号し、曹洞宗小県ちいさがた定津じようしん院末。本尊釈迦如来。宝寿ほうじゆ山の麓に位置し、山門の手前には、十数本の老杉が並ぶ。境内二千五〇〇坪。信州臨川山定津禅院年表の永正一三年(一五一六)九月の条に「聖安寺」とも記す。

宝寿至要旧記によると正安元年(一二九九)創建と伝え、一時廃寺となったが、その後、文亀元年(一五〇一)甲州総泉院の海秀によって内山村の西、苦水の所沢寺窪にがみずのところさわてらくぼに再建され、曹洞宗に改宗、永正一三年定津院へ移転するという。三世月舟の代の天文年間(一五三二―五五)に、小山田備中守昌辰が松井まついに移し、寺領並びに山林加増。諏訪上下大明神を勧請して、強敵追討の祈願をし、勝安しようあん寺と改め、甲守山としたという(宝寿至要旧記)

正安寺
しようあんじ

[現在地名]守谷町野木崎

向崎むかいさきに所在。慈雲山と号し天台宗。本尊阿弥陀如来は行基作と伝えられる。正安二年(一三〇〇)行円の創建で、往古は現在地の南東、字やまかみにあったが、江戸初期に移築されたと伝えられる。寛永年間(一六二四―四四)将軍家光より朱印地四・二石余を与えられ、安政三年(一八五六)本堂・山門・鐘楼・庫裏・長屋門などをすべて焼失。六七世宗純の代の同五年に檀徒の日掛貯金などによって本堂を新築、庫裏の仮建築を行った。

辺田前へだまえに瑠璃光山医王いおう寺があり、年貢米三〇俵の田地を有したと伝えられるが、明治維新の廃仏毀釈により住職神官となって寺を廃し、本尊峰ノ薬師の分身、寅薬師如来像を正安寺に合祀したと伝えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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