次木村(読み)なめきむら

日本歴史地名大系 「次木村」の解説

次木村
なめきむら

[現在地名]岐阜市次木

高河原たかがわら村の本村と飛地に東西を挟まれ、北境を荒田あらた川にほぼ限られる縦長の平坦な村。北・西・南に堤を築き、東端うずら村と道で境する。慶長郷帳に村名がみえ、高四二〇石余。元和二年(一六一六)の村高領知改帳には「なミ木村」とみえ同高を記す。正保郷帳では田二〇七石余・畑二一三石余。江戸時代を通して加納藩領で、家中知行渡方帳(森文書)によれば家臣一名の給地。

次木村
なみきむら

[現在地名]北浦村次木

武田たけだ川右岸にあり、東は両宿りようしゆく村。戦国期以降は武田郷に属し、武田氏が支配した(新編常陸国誌)。同氏滅亡後は佐竹・仁賀保・皆川各氏領を経て、元禄一三年(一七〇〇)守山(松川)藩松平氏領となる(徳川加封録、寛政重修諸家譜)。寛政元年(一七八九)の常州御領銘細帳写(宮内家蔵)には村高三三〇石余、田二二町余・畑二〇町余、家数三二・人数一五一、馬一七、物成米は内宿村小舟津こぶなつ河岸積出し(道程二四丁)、寺二ヵ寺(曹洞宗円通寺・天台宗福相院)、鎮守八幡社(祭八月一五日)、用水溜池二ヵ所、などと記される。

次木村
なみきむら

[現在地名]関宿町次木

親野井おやのい村の南東に位置する。西方江戸川が流れ、村内を日光東往還が通る。寛文四年(一六六四)の板倉重常領知目録(寛文朱印留)に村名がみえ、関宿藩領。元禄一三年(一七〇〇)頃の下総国各村級分では高一三三石余、幕府領。文政一〇年(一八二七)頃に三卿の清水領になったと考えられ(岩本家文書)旧高旧領取調帳では幕府領。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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