日本大百科全書(ニッポニカ) 「橘家円喬」の意味・わかりやすい解説
橘家円喬
たちばなやえんきょう
(1865―1912)
明治の落語家。円喬の名義は、江戸後期に初代船遊亭(せんゆうてい)扇橋門下から初代三遊亭円生(えんしょう)門下となった初代三遊亭円喬(生没年不詳)に始まる。2代(生没年不詳)は初代の実子。3代は4代円生の前名である。4代円喬は、本名柴田清五郎(旧姓桑原)、三遊亭円朝門下で、朝太、円好を経て23歳で円喬を襲名したが、自ら橘家を名のった。住んでいた地名から「住吉町」「玄冶店(げんやだな)の師匠」とよばれ、整然とした上品な高座で円朝に次ぐ名人といわれた。落語、人情咄(ばなし)ともに優れ、『鰍沢(かじかざわ)』『三十石』『淀(よど)五郎』『船徳(ふなとく)』『祇園会(ぎおんえ)』『三味線栗毛(くりげ)』などは絶品だったという。
[関山和夫]