橋戸頑鉄(読み)はしどがんてつ

改訂新版 世界大百科事典 「橋戸頑鉄」の意味・わかりやすい解説

橋戸頑鉄 (はしどがんてつ)
生没年:1879-1936(明治12-昭和11)

都市対抗野球の生みの親。東京都出身。頑鉄は筆名本名は信(しん)。青山学院中等部時代から野球選手として活躍し,早稲田大学に進学して野球部を創設,初代主将となった。同部隆盛の基礎を築き,1905年のアメリカ初遠征に参加した。翌年卒業後,一時期アメリカで過ごすが,11年に帰国,《万朝報》《大阪朝日》《東京日日》などで野球評論に健筆をふるった。のち日本運動協会を組織し,日本最初の職業野球団の先鞭をつけ,27年には全国都市対抗野球大会の開催に尽力した。その功を記念し,最高殊勲選手賞として〈橋戸賞〉が設けられている。著書に《最初野球術》《野球奮闘史》《野球閑話》などがある。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「橋戸頑鉄」の解説

橋戸頑鉄 はしど-がんてつ

1879-1936 明治-昭和時代前期の野球選手,新聞記者
明治12年3月10日生まれ。早大野球部主将。遊撃手。明治38年アメリカ初遠征に参加。卒業後は「万(よろず)朝報」「大阪朝日新聞」「東京日日新聞」などで健筆をふるう。全国都市対抗野球大会の実現つくし,その功績により橋戸賞がもうけられた。昭和11年3月23日死去。58歳。東京出身。本名は信(まこと)。著作に「最新野球術」など。

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