横沢町(読み)よこざわまち

日本歴史地名大系 「横沢町」の解説

横沢町
よこざわまち

[現在地名]甲府市朝日あさひ二―三丁目・たから一丁目

城下西部に位置する町人地で、上府中二六町に属する。慶安三年(一六五〇)の府中伝馬人足割帳(県立図書館蔵)町名がみえる上横沢町と下横沢町が文政(一八一八―三〇)初年に合して成立。北は元三日もとみつか町東角から南は相川あいかわ町境までの南北の通りで、東側家並の裏(東)は二ノ堀。北寄りの上横沢町は享和三年(一八〇三)の小間数書上帳(同館蔵)によると東側八六間・西側九〇間半。人数は寛文一〇年(一六七〇)一〇一人(「御用留」同館蔵)・宝永二年(一七〇五)九八人(「上下府中人数覚」同館蔵)・宝暦六年(一七五六)九六人(「宗門帳人数」同館蔵)。文化(一八〇四―一八)初年の家数二五・人数七二、柳町やなぎまち宿へ勤める大助三二町の一町で人足高は七人(甲斐国志)

横沢町
よこさわちよう

[現在地名]長野市長野 横沢町

善光ぜんこう寺町八町と別に、門前と称した。上西之門かみにしのもん町町尻から左に折れて更に北に向かう戸隠とがくし道に沿った町通り。近世を通じて善光寺宿には全く関係がなかった。ただし、善光寺領内諸町に課せられた刀被官役と称して、大勧進だいかんじん及び大本願だいほんがん使者使僧の出寺の際順次後従役を務める家が一九軒、善光寺御花おはな山・大峯おおみね山・朝日あさひ山にて薪材を伐って両寺に納める弐駄切と称する夫役を務めた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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