柳町宿(読み)やなぎまちじゆく

日本歴史地名大系 「柳町宿」の解説

柳町宿
やなぎまちじゆく

[現在地名]甲府市中央二丁目・同四丁目

柳町に設けられた甲州道中の宿。東の石和いさわ宿から一里一九町、西の韮崎宿へは三里二〇町五間(宿村大概帳)。街道に面するのは柳町二―三丁目と、三丁目南端で西折して二ノ堀にあたる横町で、堀沿いに屈曲して西の片羽かたば町との境は「二ノ御堀橋、(中略)一名筋違橋」という(分間延絵図)。宿往還の長さ四町四七間(宿村大概帳)。宿の成立は、寛永一三年(一六三六)一二月六日、柳町が八日ようか町・伊勢いせ(のちの山田町)三日みつか町・近習きんじゆ町・うお町・穴山あなやま町・連雀れんじやく町のいわゆる郭内七町に宛てた伝馬請負証文(県立図書館蔵)に、旧来八町を四組に割って勤めてきた伝馬役を柳町が馬数五〇疋に定め請負うことになったとみえることから、同年宿駅が確定したと考えられる。

二丁目東側に本陣・脇本陣各一、三丁目西側に問屋場がある(分間延絵図)。問屋一人は給米五人扶持、ほかに年寄二人・宿役人代二・馬指一が勤める。旅籠屋二一軒(宿村大概帳)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の柳町宿の言及

【甲府[市]】より

…これが新府中(下府中)で旧城下からの民戸の移転も進んだ。その後,徳川義直,忠長,綱重・綱豊父子(甲府家)と親藩を城主とし,また幕府直轄領の城番時代もあったが,この間寛永年中(1624‐44)甲州道中の柳町宿が設立され,農村部からの商工業者の集住によって漸次戸口を増し,町方人口を示す最も古い記録では1670年(寛文10)1万2772人である。その後,1704年(宝永1)山梨,八代,巨摩3郡に15万石を受封した柳沢吉保から吉里の父子2代にわたる領有の時期に甲府は繁栄し,城下の面目を一新したという。…

※「柳町宿」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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