横川関(読み)よかわのせき

百科事典マイペディア 「横川関」の意味・わかりやすい解説

横川関【よかわのせき】

中世比叡山(ひえいざん)東麓の近江国坂本に置かれた湖上関。琵琶湖西岸,現在の大津坂本にあたる。延暦(えんりゃく)寺支配の坂本7ヵ関は山門7ヵ所関・日吉7ヵ関とも称され,琵琶湖を往来する船から関料を徴収していたが,当関は延暦寺三塔の一つ,横川堂舎の修築費に充てるために設けられていた。1479年頃に関銭140文を徴収していたが,関務は有力な山徒が請け負っており,1432年に西塔(さいとう)関が宛行(あておこな)われ,1459年には中堂関一分奉行職の領知が認められるなど,得分化していた。のち山門使節が支配し,幕府も関所勘過などは山門使節に宛てて通達している。

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改訂新版 世界大百科事典 「横川関」の意味・わかりやすい解説

横川関 (よかわのせき)

南北朝期から室町期にかけて比叡山麓の坂本に設けられた山門(比叡山延暦寺)七ヵ所関の一つ。七ヵ所関とは本関,導撫関,講堂関,横川関,中堂関,合関,西塔関である。横川関は他の関と同様横川の堂塔の修築費を捻出するために設けられた関である。もともとこれら造営関は堂舎修理の名目で一定期間の年限だけその収益を得るというものであったが,しだいに恒常化して,室町中期にはこれらのうちの中堂関が,〈中堂関壱分奉行職〉という関の権利の一部を当時の山門の有力者であった山門使節が所有するというようになっていった。同様に横川関もおそらく他の荘園などからの収益などとともに,その堂舎維持や住僧の得分と化していったものと思われる。
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