楽間村(読み)らくまむら

日本歴史地名大系 「楽間村」の解説

楽間村
らくまむら

[現在地名]高崎市楽間町

榛名はるな山南麓の緩傾斜地に位置し、からす川の支流しら川が西辺を流れる。北は下柴しもしば(現群馬郡箕郷町)、東は行力ぎようりき北新波きたあらなみ二村、西は白川村(現箕郷町)。天仁元年(一一〇八)の浅間山噴火による降下軽石に埋没した水路畦畔を伴う水田跡、平安時代の竪穴住居跡などが検出された。天正四年(一五七六)一一月二〇日の武田家定書(岡本文書)で「楽間郷」一七〇俵二升が大井小右兵衛尉に与えられている。群馬郡に属し、元和五年(一六一九)安藤対馬守殿御領分高覚帳(東大史料編纂所蔵)では西郷に村名がみえる(高崎藩領)

楽間村
らくまむら

[現在地名]丸岡町楽間

上金谷かみかなや村の西、下久米田しもくめだ村の南にある。天文一四年(一五四五)一〇月二二日付志比庄下郷闕所分内作職注文(永平寺文書)の「志比庄下郷御闕所分之内、代方拾貫文之所作職注申分」に、「法正分之内」として「弐貫文此内壱貫文桑代・壱貫文秋地子 楽間村左衛門四郎」とみえる。慶長一一年(一六〇六)頃の越前国絵図では粟田島あわたじま村に含まれる。正保郷帳によると田方二九五石余・畠方七七石余。正保二年(一六四五)松岡藩領、享保六年(一七二一)再び福井藩領となる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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