楯縫神社(読み)たてぬいじんじゃ

精選版 日本国語大辞典 「楯縫神社」の意味・読み・例文・類語

たてぬい‐じんじゃ たてぬひ‥【楯縫神社】

茨城県稲敷郡美浦(みほ)村にある神社。旧県社。祭神は普都大神(ふつのおおかみ)ほか延喜式内社。旧信太(しだ)郡の一の宮。「風土記」の高来(たかく)神にあてられる。中世には木原社といった。

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日本歴史地名大系 「楯縫神社」の解説

楯縫神社
たてぬいじんじや

[現在地名]養父町建屋

建屋たきのや集落南東、野谷の東方に鎮座する。彦狭知命を祀り、旧村社。当社を「延喜式」神名帳にみえる養父郡の同名社に比定する説がある。宮中祭祀に用いる皮製の楯の縫製に関係する氏族楯縫部の氏神とみられ、現日高ひだか町但馬国分寺遺跡出土の木簡に「楯縫部毘登桑人」、元慶七年(八八三)の観心寺勘録縁起資財帳(観心寺文書)に但馬国養父郡の住人として「楯縫首倉継」の名がみえるが、彼らを当神社の氏人とは断定しがたい。

楯縫神社
たてぬいじんじや

[現在地名]美浦村木原

木原きはらの南東側台地にあり、杉の巨木が茂る。祭神は普都大神。旧県社。「常陸国風土記」に

<資料は省略されています>

とあり、社伝によれば、そのためにこの地を楯脱と称し、のち楯縫に改められたという。推古天皇一六年と大同二年(八〇七)社殿を再建と伝え、「延喜式」神名帳に「信太郡二座 楯縫神社 阿弥神社」とある。

永和元年(一三七五)一一月日の信太荘上下条寺社供僧等申状案(円密院文書)に「右寺社者、往古之仏閣、数代之社等也、就中木原・竹来両社者、庄内第一之惣廟也」と記され、文明八年(一四七六)七月二八日の木原村楯縫神社棟札(続常陸遺文)には「加藤式部丞藤原仲季判 土岐原修理亮 執行事 一宮明神之神主社人禰宜 源氏景成」とあり、中世には信太郡一宮と称され、崇敬された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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