桜井町(読み)さくらいちよう

日本歴史地名大系 「桜井町」の解説

桜井町
さくらいちよう

上京区智恵光院通五辻下ル

南北に智恵光院ちえこういん通が通る。

中昔京師地図には、五辻いつつじ通南・北小路きたこうじ北・大宮おおみや通西・現智恵光院ちえこういん通東の方一町に「サクラ井」とあり、井戸が西にみえる。中古京師内外地図によれば同所に文明(一四六九―八七)頃の連歌師桜井基佐の宅があった。「京羽二重織留(元禄二年刊)は金売り橘次の宅にあった井戸とし、源義経がここから東国に下ったとしている。

天文九年(一五四〇)本禅寺が当地に再建されたが、天正一九年(一五九一)北之辺町に移転した。

桜井町
さくらいちよう

[現在地名]熊本市水道すいどう町・上通かみとおり

北は黒鍬くろくわ町、南は長安寺ちようあんじ町、東は水道町、西は上通町に囲まれた東西通り筋で、東の延長は一番被分いちばんわかされ町。現在の水道町二番地・三番地の境界道、上通町四番地・五番地と六番地・七番地の境界道である。黒鍬町の西端から南に走り、当町に結びつく小路がある。江戸時代には武家屋敷であったため町名がなく、明治一三年(一八八〇)町名が付けられた。町名は通りのほぼ真ん中南側に桜の井戸があったことに由来する。元禄(一六八八―一七〇四)頃には通りの北側に知行取屋敷七・切米取屋敷二が並ぶ。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報