桂林寺町(読み)けいりんじまち

日本歴史地名大系 「桂林寺町」の解説

桂林寺町
けいりんじまち

[現在地名]会津若松市西栄町にしさかえまち本町ほんまち日新町につしんまち中町なかまち七日町なのかまち大町おおまち一丁目

桂林寺町口郭門を出て北方七日なぬか町に至る、長さ五町五三間余、家数一二八半。いつの頃か桂林寺という時宗道場があったので町名とした。この町の中ほどより、当麻たいま丁に出る小路がある(新編会津風土記)。「伝蘆名時代黒川城絵図」をみると黒川くろかわ城の北西に道場が記され、これが時宗道場であったと思われる。桂林寺町はこの道場の南側から、佐瀬大和の居宅まで南北に通じる町であったと思われる。文化四年(一八〇七)の「若松風俗帳」に「此町商人住居仕候」とある。町東側の外堀際に浄光じようこう寺跡があり、寛文一一年(一六七一)願成就寺前がんじようじゆじまえ(もとの徒町)に移ったという(新編会津風土記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報