根津宮永町(読み)ねづみやながちよう

日本歴史地名大系 「根津宮永町」の解説

根津宮永町
ねづみやながちよう

[現在地名]文京区根津ねづ一―二丁目

根津門前町南東に位置する両側町。北は森宗兵衛など旗本屋敷、南は加賀大聖寺藩前田家の抱屋敷、東は内藤加賀守・松平藤九郎など旗本の屋敷、西は下谷妙極みようごく院・池之端七軒いけのはたしちけん町横町(現台東区)など。当地は古く谷中道とよばれていたが、宝永三年(一七〇六)の根津権現遷座後町屋となり、町内が宮元であることから宮永町と名付けられたという(御府内備考)。文政町方書上によれば、町内の南北は東側が一五間余、西側が一二間、東西は東が八間、西は一七間。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報