核兵器禁止運動(読み)かくへいききんしうんどう(英語表記)Movement for the prohibition of nuclear weapons

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「核兵器禁止運動」の意味・わかりやすい解説

核兵器禁止運動
かくへいききんしうんどう
Movement for the prohibition of nuclear weapons

核兵器の禁止,核実験の禁止を求める運動。核兵器 (原子力兵器) の発達,増強に伴い,この運動は各国で少しずつ広がっていった。 1950年3月にストックホルムで開かれた世界平和委員会の会議は,原子力兵器の無条件禁止を要求する訴え,いわゆる「ストックホルム・アピール」を発表し,世界で5億人の署名を集めた。同委員会はその後,世界平和評議会に改編され,各地で平和会議を開き,特に 54年3月に起った第五福竜丸事件は,この運動に一つの転機を与える結果となった。同事件は世界的に反響を呼び,日本では原水爆禁止の署名運動全国協議会が結成され,55年8月第1回原水爆禁止世界大会が広島で開かれて,同年9月に原水爆禁止日本協議会 (原水協) が結成された。同年7月には「ラッセル=アインシュタイン声明」が発表され,核兵器禁止協定が提唱された。この声明をきっかけとして,パグウォッシュ会議と呼ぶ国際科学者会議がその後世界の各地で開催されている。その他,57年4月の西ドイツにおける「ゲッティンゲン宣言」など多くの宣言や声明が行われた。このようにヨーロッパでは,1950年代末から 60年代初めにかけて運動は一つの高揚期を迎えたが,1963年7月の部分的核兵器実験禁止条約調印の頃から急速にその勢いを失っていった。日本の核兵器禁止運動は日米安全保障条約改定の接近とともに政党系列化による分裂をきたした。 61年 11月には民社党系の核兵器禁止平和建設国民会議 (核禁会議) ,さらに 65年2月には社会党系の原水爆禁止日本国民会議 (原水禁) が結成され,原水協を加え3つに分裂した。 75年7月モスクワの世界科学者連盟は「世界の科学者へのアピール」を発表し,同年8月には被爆 30年広島フォーラムが「ヒロシマ・アピール」で核兵器全面禁止国際協定を提唱,77年7月には国際非政府組織 NGO主催の「被爆問題国際シンポジウム」が下田で開催された。運動再燃のきっかけは,79年 12月の北大西洋条約機構 NATO二重決定であったといえる。オランダに始った中距離核戦力 INFに対する反核平和運動は,81年以来空前の高まりをみせた。しかし 83年末のアメリカ製 INFのヨーロッパ配備実施以後,運動は再び急速に勢いを失った。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「核兵器禁止運動」の解説

核兵器禁止運動(かくへいききんしうんどう)

核保有国が増加し,水爆も開発された1950年代から,核実験や核兵器自体を禁止する運動が高まった。54年のアメリカのビキニ水爆実験による漁船員,現地住民の被爆に端を発し,日本では国際的な原水爆禁止運動が起こった。55年には,核兵器廃絶を訴えるラッセルアインシュタイン宣言が発せられ,科学者は核兵器廃絶を目的とし57年からパグウォッシュ会議を開いた。西ヨーロッパではNATO(ナトー)の中距離核戦力配備決定に反対して,80年代に反核運動が高揚した。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

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