栂尾城跡(読み)とがおじようあと

日本歴史地名大系 「栂尾城跡」の解説

栂尾城跡
とがおじようあと

[現在地名]大沢野町舟新

舟倉野ふなくらの台地の東側にそびえる標高二八〇メートル・比高一四〇メートルの山上に築かれた城で、別名を戸川とがわ城・舟倉城ともいった。山頂からは麓の舟倉野台地、さらに遠く富山の市街地までも望める。また麓を通る道筋は富山と飛騨を結ぶ中世の飛騨街道のルートの一つで、この交通路を押える位置に築かれている。「三州志」によると、元亀二年(一五七一)飛騨の武将塩屋秋貞が越中へ出兵し、栂尾城・猿倉さるくら城を新築して拠ったという。そして福沢ふくさわ(現大山町か)今泉いまいずみ(現富山市)を攻め落し、さらに岩木いわきに砦を築いて城尾じようのお(現八尾町)の斎藤氏を攻めたと伝える。この秋貞による栂尾城の築城については今のところ直接裏付ける史料に欠けるが、隣の猿倉城の「普請」については同年四月二三日付で長尾景直書状(歴代古案)が報じており、猿倉城と並んで栂尾城も同じ頃に築城されたとみられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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