枚方(市)(読み)ひらかた

日本大百科全書(ニッポニカ) 「枚方(市)」の意味・わかりやすい解説

枚方(市)
ひらかた

大阪府北東部、淀川(よどがわ)の左岸にある都市。大阪市と京都市のほぼ中間に位置している。1947年(昭和22)市制施行。1955年津田町を編入。2001年(平成13)特例市に、2014年中核市に移行。昔は「白肩の津」とよばれ、大和(やまと)と瀬戸内海を結ぶ交通の要地であった。地形は、淀川東岸の沖積地と洪積層の枚方丘陵および交野台地(かたのだいち)からなる。1910年(明治43)現京阪電気鉄道京阪本線の開通と支線交野線が敷設され、大阪市の衛星都市となった。JR片町線、国道1号、168号、170号、307号、第二京阪道路が通じる。江戸時代は京街道に沿う宿場町で、本陣脇本陣(わきほんじん)、問屋場を備えていた。また、淀川の河港としても栄え、過書船(かしょぶね)、淀船が往来し、船宿の「鍵屋(かぎや)」はいまも残っていて、2001年に枚方宿鍵屋資料館として開館している。淀川を往来する船に漕(こ)ぎ寄り「酒喰(く)らわんか、餅(もち)喰らわんか」と呼びかけて飲食物を売るくらわんか船もみられた。枚方の名を全国的に有名にしたのは、京阪電鉄の開通で開かれたひらかたパークでの菊人形であり、毎年10月と11月は行楽客でにぎわった(2005年に定期開催を終了)。1950年代陸軍造兵廠(ぞうへいしょう)の跡地にマンモス団地のはしりといわれる香里ヶ丘(こうりがおか)住宅団地が建てられた(1958年入居開始)。また、大阪市内から小松製作所や久保田鉄工所(現、クボタ)などの重工業の工場が進出し、家具団地、既製服団地などの軽工業の中小企業団地もつくられた。関西医科大学、関西外国語大学、大阪歯科大学などのある学園都市でもあり、研究施設が集積する津田サイエンスヒルズも造成されている。百済寺跡(くだらでらあと)(特別史跡)はわが国最初の史跡公園として整備されている。藤阪(ふじさか)には日本へ『論語』『千字文』を伝えた王仁(わに)の墓がある。このほか国史跡に牧野車塚古墳、禁野車塚古墳(きんやくるまづかこふん)、国指定重要文化財に交野天神社(かたのあまつじんじゃ)社殿片埜神社(かたのじんじゃ)本殿などがある。面積65.12平方キロメートル、人口39万7289(2020)。

安井 司]

『『枚方市史』全13冊(1967~1995・枚方市)』『藤岡謙二郎編『流域をたどる歴史 近畿編』(1978・ぎょうせい)』


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